第九日目。
午後2時。
《青》はM市の滞在中に、Aさんに電話して会うつもりだった。
だが、会うのをやめる。
そのかわり、滞在している家の近所を散策する。
ひょっとしたら《青》はお向かいに住んでいるアズマさんと出会って、このあたりのことを教えてもらえるかもしれない。
神社の参道をゆっくりと歩き、ひとつひとつのお社にお参りする。
そして、本殿の裏に泉を見つける。
この神社には、恋に狂って蛇に化身した乙女の伝説がある。
蛇は退治され、川を流れ、岩に当たって三つに断ち切られ、その尻尾がこの神社に祀られた。
頭と胴体はまた別のお宮に祀られている。
蛇が当たった岩の名をとって「蛇切岩伝説」と呼ばれる。
参道の入口には「枯木堂」というお堂がある。
M市の東の港には「枯木浦伝説」という、また別の神話がある。
あの入江と海から離れたこのお堂とは、どんな関係があるのだろうか。
いつかYさんが、かつてこの神社のあたりには川が流れていて、海まで続いていたのではないかと話してくれた。
ナガミネさんは、このお堂に祀られている愛染明王は縁結びの神様なのだと教えてくれた。もしかしたら蛇に化身した娘と関係があるのではないかと。
M市からT地区へ嫁いだキヌヨさんは、この神社で結婚式を挙げた。
すでに起こってしまったことについて、人間には物語を編む力がある。
だが、たったいま目の前で起こりつつある世界は、物語の網ではとらえきれない。
午後3時から4時にかけて、《青》と写真家は東舞鶴球場を散歩する。
午後5時、夕陽に照らされた“枯木浦”を眺めに行く。
《青》は「私は今日なぜ、Aさんに会わなかったのだろうか?」と考える。
午後6時55分、《青》はFMラジオから流れる自分の手紙に耳を傾ける
その言葉が、まだ出会っていないM市の人たちに届くことを祈る。