10月27日(金)

第五日目。

午前中は少しのんびりする。
午前11時、《青》と写真家は北吸トンネルを歩く。
濡れた音に耳を澄ませ、東側に墓地を、西側にを見つける。

午後1時、海のそばの引揚記念館を訪れる。
午後2時、学芸員のナガミネさんから、坂井仁一郎さんのお話を聞く。

ナガミネさんは、《青》に坂井仁一郎さんの手紙を見せる。
坂井さんは大阪に住んでいた昭和23年の夏のある日、夜中にラジオを聴いていて、旧ソ連の国営放送を偶然傍受した。

それはハバロフスクから発信されたシベリア抑留者の安否情報だった。帰国を待つ抑留者たちの名前と住所、そしてこんなメッセージが途切れ途切れに、坂井さんの耳に届いた。

「元気です。御安心ください。近く帰国する予定になっています。どちらも御無事で皆様によろしく。」

坂井さんはとっさにそれら名前と住所を書き留め、国内に残された家族に向けて約700通ものハガキを出して、消息を知らせた。

ラジオの電波は微弱で、とても聞き取りづらかったので、半数ほどは宛先不明で戻ってきてしまった。一方で坂井さんのもとには、ハガキを受け取った家族や、後に帰国した本人から、たくさんの感謝の手紙が届いた。

坂井さん自身は戦時中、赤紙を受け取ったものの、体格不良で兵役を免除になり、生き延びた人だった。

ナガミネさんは、沖縄で生まれ育ち、大人になってからこの街へやってきた。
彼の遠い親戚が、ブラジルの山奥で暮らしている。
戦争に翻弄され、数奇な運命を辿った一族だった。

《青》は、まるで壮大な小説のようなナガミネさんの先祖の物語に耳を傾けながら、月桃のにおいを想像する。

午後6時までに届く10月27日発行の市民新聞のあいだに、《青》の写真が紛れ込んでいる。

午後6時55分、FMラジオで青の手紙が読まれる。
この放送はインターネットで、M市から去りつつある《青》の耳にも届く。